仏谷寺
美保の町の最奥部に仏谷寺がある。
本当に小さな、本堂と収蔵庫、庫裏と墓地がある程度の寺だが、歴史は古く、伝承では奈良時代、行基の創建になるという。
本堂。パッと見新しく、取り立てて言うべきところもない。
かつては七堂伽藍を備えていたが、毛利尼子戦で全山焼失したという。
地方寺院にありがちな大げさ伝承だが、寺の古さとかつての勢いを物語る遺物がこの宝物庫、大日堂に伝わっている。
それがこの五体の平安仏である。
薬師仏を中心に日光月光、聖観音と虚空蔵菩薩。いずれも等身の一木造で重要文化財。
重量感あふれる地方作で、出雲造と称される。
一段下に毘沙門天と阿弥陀仏があり、同時代のものとみられるが判らなかった。
…まあ残念ながら宝物庫は開いておらず、仏像を見ることは叶わなかったのだが。
門脇にあった吉三地蔵。
吉三は江戸で放火事件を起こして処刑された八百屋お七の恋人で、彼女の死後、責任を感じて供養の旅に出、ここで亡くなったという。
お七は天和の大火で焼け出された際に吉三と知り合い、また逢いたいが為に自宅に火を点けたが小火に終わり、その一件が知られて火刑に処された。
その激動の生涯が人情厚い江戸庶民の人気を呼び、小説や芝居などの題材として広く扱われた。
しかし、その物語自体が創作されたもので、実際には単に放火した少女が処刑されただけで、吉三が実在したかは不明、それどころか、脚本によって恋人の名が一定しないという始末。
恐らく、仏谷寺の地蔵も、お七人気にあやかって吉三の名が付けられただけで、元は縁もゆかりもないものだったのだろう。
本道横に石仏群があった。
四国八八箇所の写しであろうか。
大きな地図で見る
2014.05.03 | | Comments(0) | Trackback(0) | 島根の寺