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金剛寺

国分の南方、高幡不動駅を降りるとすぐに高幡不動尊への参道に誘われる。
高幡不動参道
参道を抜けると視界一杯に高幡不動金剛の建物群が広がる。
金剛は平安時代に慈覚太師円仁が不動堂を築いた事に始まり、現代にいたるまで成田山と並ぶ不動信仰の霊場として栄えてきた。
高幡不動境内
室町時代の仁王門。建造時に変更を受け近年まで単層だったものを修理時に二層に直したという。二層目が潰れているように見えるのはそのためか。
高幡不動山門
不動堂。南北朝時代の建築。平安仏の本尊不動明王は奥殿に移され、替りに近代の不動像が置かれている。
高幡不動不動堂
奥殿。いわゆる宝物殿で、正面に安置された不動像は外からでも拝することができ、拝観料を払って中へ入ると不動像を間近で見られる上他の宝物も見ることができる、よく考えられた構造。
丈六不動明王像は平安時代の造像で同時期の矜羯羅、制托迦の二童子を備えた出来作。
高幡不動奥殿
高台にあってよく目立つ五重塔は近年の作。
高幡不動五重塔
文永の板碑。元々近隣の畑にあり平維盛の墓と伝えられてきたが、最近になって境内に移された。平氏の一族、高麗氏の手になるものらしい。
高幡不動板碑
上杉堂。
京で応仁の乱が起こっていた頃関東では享徳の乱が起こり、鎌倉公方家と関東管領家による泥沼の争いが続いていた。その緒戦となる分倍河原の戦いで敗れ重傷を負った管領方の上杉憲秋はここ金剛に逃れ、自刃して果てた。ここは彼の廟堂であり、堂内に五輪塔がある。
高幡不動上杉堂
五部権現。名の通り五柱の神を祀る鎮守。
御神体は木板の表裏に神名と本地仏、梵字を書き付けたもので神仏習合の格好の史料であり奥殿で見ることができる。
高幡不動五部権現
お鼻井戸。
不動堂は元々山上にあり、台風で堂が倒壊して不動像が転がり落ち、鼻をついた所から泉が湧き出たという。
高幡不動鼻突井戸
おや、こんなところにも寛永灯篭が。
高幡不動寛永寺灯篭
本堂、大日堂。近代の再建。
高幡不動大日堂
裏山には八十八箇所巡りが設けられている。
高幡不動88箇所
この山は中世高幡城があった。高幡城は城であったという以外詳しいことは分かっていないらしい。
高幡城跡
さほど高くない山だが、周囲に高い建物がなかったために周囲の住宅街がよく見えた…面白くない風景だ。
高幡城俯瞰
新選組副長土方歳三像。
金剛寺は土方家の菩提寺であった。
高幡不動土方歳三像
土方像の裏に弁天堂。弁天池は噴水となっていた。
高幡不動弁天堂
車用の祈願所。時代に合わせ宗教も変わっていく。
高幡不動車祈祷堂

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2012.12.31 | | Comments(0) | Trackback(0) | 多摩の寺

西光寺

深大の南方、西調布駅前に西光がある。
西光寺山門
新選組隊長近藤勇の像。
鳥羽伏見の戦いで敗れた新選組は甲州鎮撫隊として再編され甲府にて官軍を迎え撃つが敗北、下総流山にて立て直しを図るが果たせず、近藤は官軍に捕らえられて板橋で刑死した。
江戸を出立した甲州鎮撫隊がここ西光で休息をとったと伝え、その記念に像が造られている。
西光寺近藤勇像
掲示板に新選組関連史料が貼られている。
西光寺新選組史料
隅に庭園と思しき石組みがあったが荒れていて見るに耐えなかった。
西光寺庭園
山門の奥に仁王門。鐘楼と一体化した面白い造り。
西光寺仁王門
コンクリの観音堂。ちょうど住職が祈祷中だった。
西光寺観音堂
観音堂の天井近くに観音三十三応偈の小像がずらりと並んでいる。
三十三応偈身は人々の願を叶えるため観音が姿を変えたもの。他に護国寺、鎌倉長谷寺のみ彫像例がある。西光寺のものは他2寺のものより小さいが、貴重なものであることに変わりない。
西光寺三十三応偈身
これもコンクリの本堂。東京近辺ではコンクリの本堂が多い気がする。
西光寺本堂

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2012.12.31 | | Comments(0) | Trackback(0) | 多摩の寺

深大寺

国分から東へしばらく進むとそばで有名な深大がある。
深大は天平年間の開山と伝えるがおそらくはもっと古いだろう。都内では浅草に次ぐ古となる。
山際に展開する境内は木々に囲まれ、あちこちに武蔵野の湧水が湧きいでて非常に趣がある。そしてそばがうまい。
深大寺門前
山門。さりげない建物だが実は境内最古で元禄年間の建立。
深大寺山門
特に特徴もない本堂。
深大寺本堂
元三堂。面白い建物。本堂と見比べればその違いがわかる。
元三太師こと慈恵太師良源は比叡山中興の祖として知られるが、一方で超人的な伝説を多く持ち、後の世に庶民の信仰を集めた。深大寺もその信仰の拠点の一つであり、本堂より元三堂が立派に見えるのはそのへんの事情もあるかもしれない。
深大寺元三堂
元三堂の窓枠でが寝ていた。かわいい。
深大寺の猫
収蔵庫は正面がガラス張りで白鳳時代の銅造釈迦如来倚像を外から拝観可能。
この釈迦像、明治になってから元三堂の床下から発見されたもので、それまで一切の記録、伝承がなかった謎の仏像である。しかも、深大寺の開創が天平なのに、それより更に遡る像というのが面白い。わりと新しめの寺が箔付けのために創建年代をサバ読んでみたり、開山に史上の有名人を当ててみたり、なんてことはザラだろうが、そういった年代より古い遺物を伝えている寺はなかなかないのではないか。
深大寺収蔵庫
時期が良かったこともあって境内は紅葉に彩られていた。木々の間から建物が覗くのは趣があって良い。
深大寺紅葉
境内の池に波紋が広がる。お気に入りの一枚。
深大寺池
裏山に奥の院が建つ。明らかに新しい建物だが、格子から覗いてみるとろうそく型の照明にぼんやりと照らされた堂内にやはり新しめながら五体の仏像が並び、古寺の雰囲気がある。
深大寺奥の院
中心境内より外れた場所に深沙大将堂がある。
深沙大将は天竺へ赴く玄奘三蔵法師を守護した鬼神で西遊記の沙悟浄のモデルとなった。
深大寺の名は彼を祀ったことに由来する。
深大寺深沙堂
夷大黒の小堂。割と新し目だが像も堂もいい感じ。
深大寺夷大黒
鳥獣観音。奈良系のスタイルだが本歌は思い当たらなかった。
鬼手仏心とは手術は一見恐ろしい行為だが元は人を救いたい一念でやっているということ。この像は医療実験の犠牲となった動物たちを祀っている。
深大寺鳥獣観音
一角に地蔵がまとめられている。ここは賽の河原であろうか。
深大寺賽の河原
境内から離れたところに昔の水車小屋が再現されていた。実働しているものを見たことがないのにこういうものを見ると懐かしく感じるのは何故だろう。
深大寺水車小屋

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2012.12.29 | | Comments(0) | Trackback(0) | 多摩の寺

殿ケ谷戸庭園

国分寺駅のすぐ前に、ひっそりと大庭園が残っている。
その名を殿ケ谷戸庭園。元々岩崎家の別邸だったものが戦後しばらくして都立庭園となったもの。都立庭園には岩崎家関連のものが妙に多いが、他の財閥の庭園はどうなったのだろう。
殿ケ谷庭園入口
入ってすぐに見えるのはさほど広くない芝生の洋庭。なんだ、こんなものかとちょっとがっかり。
殿ケ谷庭園洋庭
竹のトンネル。時期が来たら草木で覆われるのかもしれないが現状では何のためにあるのかわからない。
殿ケ谷庭園トンネル
トンネルを抜け、石段を降っていくと様子が変わってくる。
殿ケ谷庭園石段
ここは、武蔵野の段差地形を利用して上部と下部で異なった景観を持つ稀有な庭園だったのだ。
斜面から見渡せるであろう外部の景観も生い茂る木々でほとんど気にならない。
殿ケ谷庭園竹林
下部の中心となる池。一帯は武蔵野湧水という豊富な湧き水の恩恵を受けており、この池も湧水池となっている。
殿ケ谷庭園池
池を見下ろすように建つ茶室、紅葉亭。
殿ケ谷庭園東屋
斜面を利用して小さな渓谷が設けられている。水の流れがあると趣が増す。
殿ケ谷庭園渓谷
こうして見ると相当高度差があるのがわかる。こういう地形を利用した庭師の慧眼には敬服するばかり。
殿ケ谷庭園見下ろし
本館。現在では管理棟、資料館となっているが内部の様相には財閥別邸としての姿がよく残る。
殿ケ谷庭園建物

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2012.12.28 | | Comments(0) | Trackback(0) | 東京の庭園

武蔵国分寺・国分尼寺

新田義貞の影を追い東村山から南下すると府中に出る。府中では分倍河原の合戦が行われ、鎌倉幕府の敗北を決定づけた。
府中というところは武蔵国府があったところで、北方には武蔵国分寺国分尼寺がある。国分寺国分尼寺は奈良時代、聖武天皇の発願で全国にそれぞれ僧尼一づつ建立された官で、総国分寺が東大寺、総国分尼寺が法華寺である。
その武蔵国分寺の跡地が市内に残っているというので行ってみた。
武蔵国分寺跡標識
まずは国分尼寺から。
跡地はよく整備されており、当時の様子を偲ぶことができる。
武蔵国分尼寺基壇
壇上に並ぶ礎石群。過去に遡り、この上に建っていた古代寺院を見てみたい。
武蔵国分尼寺礎石
土壇の影では地層断面が公開されており、勉強になる。
武蔵国分尼寺地層
復元された土塀。復元されて結構経っているのか塗装が剥げ落ちている。
武蔵国分尼寺土塀
国分尼寺跡奥の小道は鎌倉街道の痕跡。鎌倉街道は鎌倉時代に整備された鎌倉と各地を結ぶ道。関東の各地に細々と痕跡が残っているらしい。
鎌倉街道
鎌倉街道脇の丘陵上には謎の土盛。街道を挟んで向かいに中世寺院の跡があり、それに関連したものらしい。
廃寺土盛
国分尼寺の東側に国分寺跡がある。国分寺は分倍河原の合戦で焼け落ちたという。
武蔵国分寺跡
国分尼寺とは違ってさほど整備されておらず、原っぱの中に礎石が点々と残っている程度。
武蔵国分寺礎石
国分寺跡の奥にその名を引き継いだ寺がある。山門は明治になってから他の寺より移されたもの。
武蔵国分寺山門
現本堂。軒先の彫刻が見事。
武蔵国分寺本堂
本堂エリアに隣接して薬師堂エリアがある。薬師堂は丘陵上にあり石段前には仁王門が配されている。
武蔵国分寺仁王門
薬師堂。平安末の薬師如来を祀る。分倍河原の合戦で国分寺が焼失した後、義貞の手により金堂跡に薬師堂が再建され、後にこの地に移された。現在の建物は江戸期のもの。
武蔵国分寺薬師堂
薬師堂のさらに隣に八幡宮があった。
武蔵国分寺八幡
ブルドッグみたいな顔の狛犬。
武蔵国分寺狛犬
境内の地下には古代の住居跡が眠っているらしい。つくづく遺跡が密集している場所である。
武蔵国分寺八幡遺跡

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2012.12.25 | | Comments(0) | Trackback(0) | 多摩の寺

正福寺と太平記関連史跡

埼玉と東京の境目、志村けんの東村山音頭で知られる(古いか?)東村山市の住宅街の中に、東京唯一の国宝建築がひっそりと建っている。あまりにもひっそり過ぎてなんか有り難みが無いが、とにかく国宝なのである。
正福寺山門
国宝正福地蔵堂。
室町時代建立の禅宗様建築。確か、都内最古の建築だったはず。都心では戦争や災害、再開発で古いものが次々と失われる中、同じ東京都内でも田舎と大差ない(失礼)この場所に、こんな美しい建物が残っていたのだ。
正福寺本堂
鎌倉の円覚舎利殿に良く似た姿の堂。あちらは境内有料の割に近づけないので同様の姿を無料でじっくり観察できるのはありがたい。まあ、こちらはこれ以外特に見所はないが…
正福寺本堂2
地蔵堂は千体地蔵堂といい、内壁や天井の棟にびっしりと地蔵の小像が並べ立てられている。堂の裏手にも近年奉納されたという小像群があるが、棚の空き具合から見るとこれからさらに増えていくのだろうか。
正福寺千体地蔵
参道に並ぶ太い灯篭は徳川将軍墓所から流出したものか?
正福寺燈籠郡
こちらが本堂。各部に北条の鱗紋が光る。
寺伝では鎌倉幕府執権北条時宗の開基になるというが、ならばなぜ北条氏滅亡後の室町期に地蔵堂のような美しい建物を残すことができたか。その辺の由来は特に伝わってはいないらしい。
正福寺方丈
本坊。なかなかいい建物で、パッと見旅館のようだ。
正福寺本坊
地蔵堂の傍らに八坂神社がある。一応境内は区切ってあるが、元々一体であったことは明白である。
正福寺八幡境内
社殿は特に見るところはなく。他にガラス張りの神輿庫があった。
正福寺八幡宮
正福寺から北東にしばらく歩くと徳蔵寺がある。
境内には板碑保存館が併設されており、多くの板碑や遺物が保管されている。板碑は中世に流行した供養塔で、関東に多く見られる。同じく境内にある永春庵は元弘の板碑と共に付近の八国山より移されたもの。
徳蔵寺
元弘の板碑所在地の碑。
太平記で知られる元弘の乱で新田義貞の3人の郎党が戦死した。板碑は彼らの供養のために建てられたもので、由来がはっきりしている点において貴重。というのも、太平記に記された合戦の様子は他の史料に記述がなく、誇張の多い軍記物ということでその実証が疑われていたのだという。合戦の戦死者の供養碑が見つかったことで記述の正しさが証明されたわけだ。先の永春庵もこの付近にあったが、板碑と共に徳蔵寺に移された。
石塔婆
久米川古戦場の碑。
後醍醐天皇の挙兵に伴い上野で決起した義貞は小手指ヶ原、久米川、分倍ヶ原で次々に幕府軍を打ち破り、鎌倉幕府を滅亡させた。戦場となった小手指が原、久米川がこの一帯であり、関連する遺跡が多く残る。
久米川古戦場碑
将軍塚。
この小山を八国山といい周辺八ヶ国がよく見渡せたという。義貞はこの山頂に陣を張り、合戦を指揮したと伝わる。
鎌倉将軍塚

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2012.12.23 | | Comments(0) | Trackback(0) | 多摩の寺

平林寺

さいたま市から荒川を挟んで対岸に位置する新座市。その中心部に大きな森が生い茂っている。
その森を境内としているのが平林寺である。
平林寺はもともと岩槻にあったが、川越藩主松平信綱は菩提であった本を現在地の野火止の地に移転しようとした。ところがこの地は水の手が悪いため住職に拒否され、「知恵伊豆」と名高い信綱はしからばとばかりに用水路を開削、住職の難題を解決するとともに流域の人々を救うことができた。平林寺が現地に移転したのは信綱の死の翌年のことであった。
平林寺山門
仏殿。この寺は茅焙き屋根が多く理想的な田舎寺といった感じ。境内は広いが。
平林寺仏堂
本堂。造りとしては方丈になると思うが。
庭の手入れをしているのは修行僧の方々だろうか。
この寺では今でも多くの修行僧が禅の修行に励んでいるという。
平林寺方丈
平林寺の堂宇が建ち並ぶのは境内のほんの一部、他の大部分は木々で埋め尽くされている。
今は開発され尽くされた感のある旧武蔵国だが、かつては至る所に水が湧きいで、豊富な自然が溢れていた。
そのような武蔵野の原風景が残されている数少ない場所がこの平林寺一帯なのだ。
平林寺緑地
緑地内に座す地蔵半跏像。台座との噛み合わせが面白いことになっている。
平林寺地蔵
平和観音。薬師寺聖観音のデッドコピー。どうでもいいが、私は本歌の聖観音があまり好きじゃない。ブロンズが妙にテカテカしてるし、足の衣紋がドリルに見える。
平林寺観音
豊臣五奉行、増田長盛の墓。
長盛は関ヶ原合戦で西軍に与し敗北、戦後高野山を経て武蔵岩槻にて軟禁、大阪落城後に自害。
すなわち平林寺が岩槻にあった時に葬られたようだが、ではこの下に遺骸はあるのか?
いずれにせよ歴史に名を残した人物の墓としては寂しい限り、これも敗者の宿命か…
平林寺増田長盛墓
武田信玄の娘、見性院の供養塔。
夫は武田の裏切り者、穴山梅雪。彼が本能寺の変のどさくさで無様な死を遂げた後、徳川家康の保護を受け、後に徳川秀忠の隠し子である保科正之を養育したという。
彼女の墓所は別にあり、こちらにあるのは供養塔。
平林寺見性院墓
島原の乱供養塔。
九州で発生した大規模一揆、島原の乱では当初京都所司代板倉勝重の子、板倉重昌が討伐軍を率いる上使として鎮圧に当たるが失敗、重昌は功を焦って突出の末戦死してしまう。そこで後任に選ばれたのが時の老中、松平信綱であった。
2ヶ月に渡る攻防の末一揆勢は全滅、幕府側にも多くの被害を出し島原の乱は終わった。
信綱はその功を賞され川越の地を与えられたのであった。
平林寺島原の乱供養塔
その信綱をはじめとする大河内松平家歴代の墓所。
そこそこ広い墓域は玉垣で区切られ、多くの灯篭で飾られている。その大名墓地を内包してまだまだ余りあるというのが平林寺の広さを物語る。
平林寺松平家墓所
野火止塚。
塚といっても古墳ではなくただの土盛りで、その名の通り野焼きの見張り台だったのだろうということである。
とはいえ、地名の由来となったという意味では極めて重要な遺跡であると言える。
平林寺野火止塚
業平塚。在原業平の塚と称するが、実際には野火止塚と同じもの。
業平がモデルとされる伊勢物語に武蔵野を舞台とした一節があり、それに由来したものであろう。
平林寺業平塚
境内林は結構広く、散策にはもってこい。まあ、拝観料はいるが。
平林寺緑地道
森の上にぽっかり空いた空に木が一本だけ顔を出す。こういう風景は好きだ。
平林寺一本木
倉庫であろう建物の側面に貼られた大きな歯車。何の部品だ?
平林寺倉庫
鎮守、半僧坊。静岡方広寺よりの勧請で、鎌倉建長寺の奥にあったものと根を同じくする。
あ、人が拝んでいるのに門を閉じられた…閉門までもう少し間があったはずなのに…これも規則に厳しい禅寺の定めなのか…
平林寺半僧坊
新座の街をぶらぶらしていると珍しい形状の病院が。円筒状の建物は昭和の一時だけ流行して校舎や病棟などに採用されたが、すぐに廃れたという。
新座病院

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2012.12.21 | | Comments(0) | Trackback(0) | 埼玉の寺

吉見百穴と武蔵松山城

「ショッカーのアジトを発見しました!」
と大声で叫びたくなるような場所が埼玉にある。
それがここ、吉見百穴
岩山の一面にびっしりと四角い穴があいている不思議な場所。事前知識なしに訪れたらここが何なのかまず理解できないだろう。
実際、仮面ライダーをはじめ多くの特撮番組のロケ地に使用されており、その怪しさは他に類を見ない。
吉見百穴全容
で、結局ここは何なのか。
古くは地底人コロボックルの住居とか宇宙人の基地とか言われていたが、現在は古代人の墓地ということで落ち着いている。
個室を覗いてみると寝台が備え付けられており、ここに遺体を安置していたのだろうということである。
吉見百穴墓室
それにしても、この凸凹加減は、嫌でも子供心をくすぐり、秘密基地ーとかゴッコ遊びがしたくなる。
こんな場所をロケ地に起用した特撮スタッフはさすがと言わざるを得ない。
吉見百穴部分
コロボックルの住居説が出るほど一つ一つは小さな部屋だが、一つだけ大きな入口が存在する。
これは太平洋戦争中に軍事工場疎開のために開けられたもの。
吉見百穴工場
内部はかなり広く、複雑に通路が繋げられて迷宮化している。
かの硫黄島要塞もこんな感じだったのだろうか、途中から先は鉄格子で区切られて暗闇に埋もれており、一人だと正直怖い。
吉見百穴内部
山頂には茶店の廃墟がある。現在は麓に資料館兼土産屋がある。
吉見百穴廃屋
向かいの山にも似たような洞穴群がある。
これは吉見百穴にインスパイアされた一人の男が作ろうとした岩窟ホテルの跡で、開発途中で放置され入れなくなっている。
岩窟ホテル
岩窟ホテルのある山は武蔵松山城の城地である。
その麓には楼門のような建物があるがその先に寺はない。これ単体で岩室観音堂という一つのお堂なのだ。
岩室観音堂
観音堂の周囲には洞穴が穿たれ、四国八十八箇所が祀られている。
岩室観音洞穴
岩肌を縫うように置かれた階段から上に登る。
岩室観音胎内くぐり
本尊は格子の向こうにあり拝観できない。
天井付近にはびっしりと絵馬や千社札が貼られており、信仰の厚さがわかる。
岩室観音楼上
それにしても、見れば見るほど不思議な建物である。
岩室観音見上げ
観音堂の裏手の険峻な坂道から松山城に登ることができる(※現在は危険なため進入禁止)
かつては城門の役割も果たしていたのだろうか。
岩室観音坂道
武蔵松山城は戦国時代関東の重要拠点の一つであった。
戦国初期、関東は古河公方足利家と関東管領山内上杉家、分家の扇谷上杉家の三すくみの状況にあり、その隙をついて台頭してきた後北条家に本拠河越城を奪われた扇谷家が拠点を移したのがこの松山城である。
扇谷上杉朝定は他2家と和睦して河越城奪還に乗り出すが名高い河越夜戦で戦死、扇谷家は滅亡した。
その後は武田上杉北条の関東三国志の主戦場として次々城主が入れ替わり、戦国終結とともに廃城となった。
松山城跡碑
本丸には寺か神社かの基壇が残っている。手水舎が残っているので神社だろうか。
松山城基壇
題目碑が立っているので寺かもしれない。いずれにせよ、松山城の戦死者を供養するためのものだろうが、なぜ消滅したのかは不明である。
松山城法華経碑
城内の構造は異様で、台形の山上部に縦横無尽に空堀が張り巡らされ、地形はかなり複雑化している。外周部で迎え撃つより城内に引き込んで惑わせてから叩くとでも言うような城である。
松山城堀
結構広大な城のようだが、吉見百穴で時間を使いすぎたために時間が遅くなり、明かりのない城内に留まるのは危険と判断して途中で退却したためにその全容を伺い知ることはできなかった。誠に残念なことである。
松山城堀2

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2012.12.14 | | Comments(0) | Trackback(0) | 埼玉の城

鷲宮神社

アニメらき☆すた」の舞台の一つとして知られ、祭礼の日にはその神輿が出るという鷲宮神社
実は関東最古という由緒ある神社である。
そんな古きと新しきが同居する鷲宮神社に参拝してみた。
鷲宮神社鳥居
境内はそこそこ広く、本殿の裏手には鎮守の森が広がっている。
鷲宮神社狛犬
前庭に形のいい灯篭が立つ。ゴテゴテした装飾から見ると江戸期のものだろうか。
鷲宮神社灯篭
周囲を迦陵頻伽が舞う。神仏習合の名残。
鷲宮神社灯篭彫刻
光天の池。
地中に埋もれていたものを近年掘り直し整備したという。水量は少なく神池の感は無い。
鷲宮神社池
手水舎にもいい彫り物がある。使い方の看板はよく見るが、あれをらき☆すた風にアレンジしたら呼び物になるかも。
鷲宮神社手水舎
源頼朝お手植えのもっこく。残念ながら枯れている模様。
鷲宮神社神木
舞台。絵馬殿も兼ねているようで扁額が飾られている。
ここには、鷲宮催馬楽神楽という踊りが伝わっている。
鷲宮神社舞台
拝殿。大きいが影の薄い不思議な建物。間口が狭いせいか?
鷲宮神社拝殿
拝殿前の石碑は毛利家が幕府の命で利根川の治水を行い完成の記念に建てられたもの。
全く無縁の地の工事に駆り出されるとは、大名家も楽ではない。
鷲宮神社石碑
裏手へ回って本殿を拝する。本殿と別宮が並立した珍しい造り。
鷲宮神社本殿
神輿庫は前がガラス張りになっていて中がよく見える。これはアリだな。
鷲宮神社神輿庫
裏手の森の中にはいくつかの摂社が立ち並んでいる。
この八幡宮は扉が地上に繋がっていない。このような形式は初めて見た。
鷲宮神社摂社
ここまで見てわかるとおり、境内にらき☆すた成分は皆無である。唯一門前の掲示板がその場違いな姿を晒している。
まあ、由緒ある神社があまりにもアニメアニメしていたら大抵の人は眉をひそめるだろうが。
鷲宮神社掲示板
この茶屋がグッズなどを扱っているらしいが訪れた日は休みであり、どの程度のものかはうかがい知れなかった。
鷲宮神社茶屋
アニメによる町おこしを成功させた例としてよく名の上がる鷲宮。しかし、門前町をふらついてみた限り賑わいはなく、むしろ廃屋などが目立って寂しい気分になった。祭礼の日などはまた雰囲気も違うのだろうか。
アニメによる町おこしは一過性のもので継続性がないという。思えばらき☆すたは単発の2クールアニメで、一時はかなりの熱狂ぶりを見せた割には二期製作の話もなく、徐々に記憶の隅に追いやられつつある。そんな状況を思えばよく続いているほうだろうが、これから時を経るごとに持続も難しくなっていくだろう。その時に続けるのか辞めるのか、近年増えつつある町おこしアニメのモデルケースとして非常に興味深い。
鷲宮神社門前

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2012.12.14 | | Comments(0) | Trackback(0) | 埼玉の神社

喜多院

小江戸川越に広い境内を持つ喜多院
その前身は無量寿と称し、北院、中院、南院の三つの院を中心に栄えた。
そのうちの北院に徳川家康のブレーン、黒衣の宰相として知られる南光坊天海が入るに及んで他二院との差が生じ、名を喜多院と改めることとなった。
現在でも門前には天海の銅像が立ち、その威を示している。
喜多院天海像
境内に入ってすぐに朱色の多宝塔が目に付く。
喜多院多宝塔
本堂、慈恵堂。慈恵太師こと元三太師良源を祀る。
喜多院本堂
慈恵堂と庫裡、書院、客殿とは渡り廊下でつながっている。
下部を覆ってしまう構造は珍しい気がする。
喜多院回廊
江戸城紅葉山御殿を移した書院から庭園を臨む。
喜多院庭園
携帯の一角を占める五百羅漢の群像。釈迦三尊を中心に整然と並ぶさまは壮観。
喜多院五百羅漢
どれか一つは親の顔に似るという五百羅漢。ポージングもそれぞれで面白く、1体1体見ていると日が暮れてしまう。
喜多院五百羅漢部分
境内の隅に越前系川越松平家五代の墓所がある。
川越藩主は三つの松平家をはじめ藩主が次々入れ替わってややこしい。
喜多院墓所
慈眼堂。慈眼大師こと南光坊天海を祀る。扉の色合いが独特。
喜多院廟堂
太子堂。聖徳太子を祀る。木遣塚は蕨でも見たな。
喜多院太子堂
境内の裏手から右手にかけて深い堀が巡っているのが見える。古地図にはさらに境内の周囲を囲む外堀が描かれており、高い防御力があったのがわかる。恐らく、川越城の防衛ラインに組み込まれていたのだろう。
喜多院空堀
喜多院に隣接してあるのが仙波東照宮
空堀は喜多院と東照宮を分断し、再度東照宮を囲んでいる。東照宮は高台になっているので、それだけでちょっとした砦となる。なかなか堅固な造りである。
喜多院東照宮門
仙波東照宮拝殿。
日光、久能山と並ぶ三大東照宮の一つであり、社殿はなかなか鮮やかな色合い。
喜多院東照宮
中院。
もともと仙波東照宮の位置にあったが東照宮建立に際し移転させられたという。
幕府の庇護により立場が逆転したことによる喜多院からの当て付けじゃないの?それ…
中院山門
南院跡。
川越の名所として今も栄える喜多院と廃絶した南院…明暗分かれるとはこういうことか。
南院跡

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2012.12.11 | | Comments(0) | Trackback(0) | 埼玉の寺

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プロフィール

黒将軍

Author:黒将軍
黒将軍だ。
戦国武将は毛利の吉川元春
仏像は三十三間堂の二十八部衆
絵画はミケランジェロの最後の審判
建築は三徳山三仏寺の投入堂
庭園は浜離宮
世界遺産はモン・サン・ミシェル
料理は天ざる蕎麦
時代劇は必殺仕事人
本は三国志演義
漫画はファイブスター物語
アニメはひだまりスケッチ
ゲームはワイルドアームズ
ヒーローは仮面ライダーV3
SD戦士は隠密将軍
MSはドライセン
ラジオはぶるらじ
声優は水樹奈々
が好きだ!

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